人生の栞

親鸞聖人の著作 「愚禿鈔」の中に 次のような言葉があります。

賢者の信は、内は賢にして外は愚なり
愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり

この、「外は賢なり」というときの「賢」とは 「いい格好をする」、「偉そうにする」と言い換えてみたらどうでしょう。

中身がなくても、ついつい、自分を飾って 自分がしてきた業績を誇ってみたくなります。あるいは、自分にできない(していない)ことがあったときには 「するつもりだったのに」と いい格好をします。

また 自分が「賢」であると、 「賢」でない人に対して「ダメだね」と見下したりします。
そして、自分は 「ダメ」といわれたくないから、さらにまた「賢」になろうと いい格好します。

自分以上の自分を周りに認めさせようとする生き方です。とにかく「私はね」、「僕はね」、「俺はね」…と自分を語ります。考えてみれば (本人も周りも)辛い・苦しい生き方です。

反対に 「外は愚なり」というときの「愚」とは、いい格好 をしないで、「私には できません」、「ごめんなさい」、「有難う」 といえることでしょうか。

自分を自分以上に見せることなく 等身大の生き方です。「すごいね、あなたは」と 相手を認めることでもあります。これだと、自分も周りも しあわせになれそうです。
それに、よく考えてみれば 本当に「賢」ならば いちいち 自分からいう必要はないんです。
「賢」でないから 「賢だぞ」って いわなきゃならない。弱いから強がるようなものでしょう。

よく知りませんが、ヤクザのチンピラは やたら強がって凄んでみせますが、親分クラスになるとは 黙っていても 周りが 引いてしまう(らしい)…そんな感じでしょうか。

あの田中角栄 さんの言葉に 「愚者は語る、賢者は聞く」とあるそうです。
当サイト 人生ナビ「言の葉」には、「空っぽのバケツは いちばん大きな 音をたてる」とあります。中身が詰まれば 大きな音はしません。

そういえば阿弥陀さまも ご本願の第17願目に「諸仏から褒め讃えられる仏になる」と誓われ、阿弥陀経では諸仏から「阿弥陀仏は すばらしい!」と阿弥陀さまが褒め称えられていらっしゃいます。

医者でも、ホントの名医は何も言わなくても患者の方が 「あの先生はすばらしい」といって 放ってはおきませんし、「自分は名医だ」という医師のほうがヤブ だったりします。

「内は賢にして外は愚」とは、なかなか難しいことかもしれません。

しかし、できないことを「ごめんね」といい、してもらったことに「有難う」と、「いい格好しない」で生きていけたらいい…そう思います。
そこには 自分も周りも認めて(引き受けて)いける広い世界があるような気がします。

〔末註〕
ただし、「私はダメな人間です」と いいながら、ほんとは
「いや、そんなことありませんよ。アナタでなければいけません」と もっと褒めてほしくて、そう言ってる場合がありますので、気をつけましょう。

こんなとき 「そうね、やっぱりアナタはダメね」…なんて言ったら、大変なことになりますので、十分ご注意下さい。

 

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