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ひらがな法話hirahou

お命 いただきます


ねぇみんな。どうして、ごはんを食べる前には『いただきます』って言うのかな?別に それを言ったからといって、おかずが一品増えるわけでもないのに…。ねぇ、どうして だろう?

じゃ、『いただか』なかったら、つまり食べなかったら、どうなるか考えてごらん。そうだよね、死んでしまうよね。

死ぬというのは、いのちが終わることでしょう。でも、僕たちの食べている魚や肉や野菜にだって、いのちがあるよね。そして、僕のいのちも 魚や動物のいのちも たったひとつのいのちだよね。

ということは、ご飯を食べるっていうことは、僕のたったひとつのいのちを 今日から明日へつなげるために、たくさんのいのちをもらう(いただく)ことなんだよね。

見てごらん。お皿の中は全部 いのちだよ。(いのちのないものなんてないんだ)

だから、 『いただきます』とは、アナタの大切ないのちを「いただきます」ってことなんだ。
『いのちをもらってゴメン、ゴメン』、
『アナタのいのちをありがとう』、
「いのちをいただきます」っていうことだよね。

ということは、僕のいのち の中には、たくさんの もらった(いただいた)いのちが入っているんだ。だから、もらったいのちの分までしっかり、大切に生きたいね。自分のいのちだから、好き勝手していい、なんてこといえないね。

じゃぁ、次に『ごちそうさま』はどうだろう?漢字で書くと『御馳走様』となるんだ。そしてこの『馳』も『走』もどっちも『走る』っていう意味があるんだよ。

では、考えてみよう。僕の一度の食事のために どれだけたくさんの人が走り回ってくれたか…。

お米や野菜を作ってくれた人、それを運ぶ人、売る人・・・。そのお米を買うためお金は お父さんが働いて持って帰ってくれたよね。つまりお父さんの勤める会社やその会社のお客さんにもお世話になったね。

そして、お母さんが料理をしてくれた。その料理に使う水道・ガス・お鍋などの道具を整えてくれた人たちも 動いてくれたね。

こんなふうに、いろんな人たちが走り回ってくださったおかげで、僕のお腹が一杯になりました、おかげで『ごちそうさまでした』というわけさ。

でも、お友だちの中に、家ではするけど、外食の時は恥ずかしくて『いただきます』を言わないよーという人がいたよ。どうなんだろうね。大切ないのちをも らって、『ありがとう』って言うのと、お礼も言わずに、いきなり食べるのと、どっちが恥ずかしいことなんだろう。

都会の電車では、足の不自由なお年寄りに「どうぞ」って席を譲るのが恥ずかしいからといって、わざと眠ったフリをする人がいるんだって。でも、困った人に 席を譲ることと譲らないで寝たフリすることと、どっちが本当に恥ずかしいことなのか、子供だってわかるよね。

どうやら、恥ずかしがらなくてもいいことを恥ずかしく思ったり、本当に恥ずかしいことを恥とも思わないことがあるようだね・・・。

これから お家の食事の時でも、お父さんやお母さんが「いただきます」っていうのを忘れていたら、ちゃんと教えてあげてね。こどもが大人に 教えることがあってもいいんだからね。

※このお話は小学生の宿泊研修(サマースクール)の時のものです。