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人生の栞Shiori

ホンモノに であう


平成19年には、その年の世相を表す漢字として「偽」という字が選ばれました。

確かに、白い恋人チョコレートや 赤福餅の賞味期限の偽装などを始めとして、同様の事件がたくさん発覚・報道された一年でした。

しかし、今、そんな「偽装」をわが身の上に考えてみると、どうでしょう。

温泉津の才市同行は「仁んげん(にんげん)は かざる かざる   はかま(袴)でかざる はおり(羽織)でかざる」と、自分を実際以上に よく見せようと(偽装)する姿を詠っています。

考えてみれば、白髪を染めてみたり、服の色や柄で体型をきれいに見せたり、お化粧することも、ある意味で「偽装」かもしれません。

心と裏腹に愛想を振ってみたり、知ったかぶりの顔をしてみたり、朝から晩まで いい格好している私は、あさから晩まで「偽装」のオン・パレードです。

ところで、ニセモノをつかまされて一番困るのは 宝石・貴金属等を扱う商売をされている方でしょう。
そんな貴金属店の新入社員を ニセモノに だまされないように教育する方法をある本で 読んだ憶えがあります。

それは、「これが アフリカの偽物」「これが南米の偽物」…というように 偽物リストを覚えていく…のではありません。
新入社員には 入社後 当分の間、ニセモノは見せないで、「ホンモノの宝石」ばかりを見せ続けるといいます。

そして、ホンモノを見る目が しっかりと身につけば、あとは 自ずから偽物が すぐに見抜けるようになる…とありました。

たしかに どれほど 偽物リストを覚えても、リストに載っていない偽物は 見破ることができません。
「本当のものがわからないと 本当でないものを本当にする」(安田理深) という言葉もあります。

しかし、ホンモノを見る目がしっかりと養われていますと偽物は一目瞭然 です。
つまり、ホンモノ(真実の教え)に出遇えば、偽の今が 見えてきます。

必ず死ぬいのちを 偶々生かされているのに、いつまでも元気いるつもりで、ついつい、毎日の日々を おろそかに過ごしてしまう自分。

限りない支えとめぐみの中に包まれて生きていながら、自分ひとりで生きていると思って 傲慢になっている自分。

周りの人たちに 許されて(我慢してもらって)いるのに、反対に自分が周りの人を許して(我慢してやって)いると思い上がっている自分。

ほんもの(真実の教え)に出遇えば、そんな偽の自分の姿に気づかされます。

鳥取の源左同行が「偽になったらもうええだ、なかなか偽になれんでのう」と言われたのも そのことでしょう。偽が偽と知れるのは ホンモノ(真実)に遇(あ)えばこそ。

ところが、なかなか ホンモノに遇えない (偽になれない)のも事実でしょう。それはやはり、仏さまの前に額づいて 頭を垂れて聞くしかありません。

どうぞ、忙しい、忙しいと言わないでお寺にお参りください。
そして、真実の教え(ほんもの)をお聴聞してください。