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住職ノートnote

鰯の頭も信心から…? (そのⅡ)


浄土真宗の信心は、「他力の信心」です。他力の信心とは、(そのⅠ)で取上げた「天気の話」でいえば、
「今日は良く晴れているな」と、うなずくこと…。 となるでしょう。

その時、私が信じたから、私が確かだから、「晴れている」のではありません。確かなのは、現に今、私のもとへ陽の光を降り注いで晴れている「天気」の方です。
同様に今、私が如来(阿弥陀仏)さまの光につつまれている。そして、その光の中に、私の不確かさ(いい加減)が知らされる…。

信じる自分の心が確かである場合(自力の信心)と異なり、信じている自分自身さえも「確かなもの」でなかったと気づかされるのです。そして、そんな不確かな私だからこそ、間違いのない(確かな)仏さまが、私を照らし、つつんでいて下さるというのです。

不確かな私が信じたから、救われる…のでないのです。(アミダ)仏さまは、私が思い込み的に信じる心をアテにされません(不確かですもの)。ちょうど、私がどれほど信じても、飛行機が墜落することや宝くじが当たることの前には全く、役に立たないのと同じです。

したがって、親鸞さまは、「信心」のことを、私が「シンジルココロ」ではなく、仏さまの「マコトノココロ」と読み替えて味わっておられます。ですから、他力の信心とは、(アミダ)仏さまの(私の手垢を全くつけない)、真実の心が私に届く(私の側からいえば、「受け取る」=うなずく )ことなのです。

だんだん、ヤヤコシクなりました。言葉が足りませんが、今回は、とりあえずこのくらいで。

《参考》
飛行機に乗って、それが墜落する確率 30万分の1
宝くじを買って、それが1等になる確率 100万分の1

つまり、飛行機が墜落する確率の方が、宝くじで1等当選する確率より高い!
それなのに、
乗った飛行機は落ちないと信じる。買った宝くじは当ると信じる。
(30万分の1より100万分の1を信じてしまう)
確かだと思った私の信じ方も案外いい加減なものでした。

(註1)ずいぶん前に本で読んだ数字です。それこそ不確かかもしれませんが、お許し下さい。その後、飛行機の安全性も向上し、70万回に1回くらいになったそうです。(航空関係者の皆さん、ゴメンナサイ。もっと正確な数字があれば、ご連絡願います)
(註2)何っ?確率が低い宝くじだって、たくさん買えば、確率は上がる…?はい、その通りです。でも、ここでは「話」として黙って読み過ごしてやってください。