言  の  葉

パンパンに膨らんだ風船も、針をちょんと当てると、
パンとわれてしまうけど、中の空気は外の空気に
合流するだけだよ。

いのちも同じだよ。大きな大きないのちの中に、
人間
ひとりひとりのいのちも 外に出ていくだけ。

身体が亡くなっても、形は変わっても、中のいのちは
外のいのちと
合流するだけ。

そして、大きないのちがまた新しいいのちを創るのだよ。

       田久保園子先生(東京ビハーラ副会長)講演録(鳥取・光賢寺だよりに掲載)より

田久保先生は、上の言葉につづいて
「病に伏せていた私に、父が話してくれたことで、怖い怖いと思っていた死の見方が変わった。」
と述べておられます。

 

田久保先生のお父さまは、浄土という言葉をつかわずに、いのちの行方をちゃんと伝えてくださいました。

死んだら消えてなくなるのではなく、大きな大きないのちの中(お浄土)へ帰っていくのです。
さしずめ、風船(姿カタチ)がパンと割れた後のゴム破片が 遺体 とも味わえます。

どれほど仲の良い夫婦・親子・兄弟であっても、風船と風船とでいる(姿カタチがある)間は、いっしょに寄り添うことができますが、風が吹けば(ご縁次第で)別れ離れていかねばなりません。

しかし、割れた後の風船は、外の空気と合流して大きな大きないのちの中で、いつでも残った風船のそばにいて、 包み・まもることができます。

そして、やがて残りの風船も割れたとき、こんどは 大きな大きないのちの中で、またいっしょになれるのです。

 

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