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七七日のたより(四十九日法話)77-49

五七日のたより


南無阿弥陀仏。
亡くなられてひと月が過ぎ、五七日(三十五日)がまいりました。

「生は偶然、死は必然」という言葉があります。
つまりー、必ず死ぬいのち(必然)を、今 たまたま(偶然)生かされている…ということです。

ふつう 私たちは、生きているのが当たり前(必然)で、たまたま(偶然)死ぬと考えます。しかし、どちらが本当か、言うまでもないでことでしょう。

私の父は、春のお彼岸に夜中に、心筋梗塞で わずか5分の患いで今生を閉じました。前晩にみんなで夕食を食べ、「おやすみ」といった父に、「おはよう」の朝は、来ませんでした。

思いますに、朝目覚めるということは、私の寝ている間、心臓が夜通し動いて、肺で呼吸が行われていたからでした。私が休んでも 休むことなく 私を生かそうとするはたらきの中に生かされていたわけです。
朝が来るのが 当たりまえ…では、ありませんでした。とても 有ることが難しい、「有難い」ことでした。

「あたりまえ」だと思っていたことが 有難いことだった…。
こんなことに気づかせられるのも 亡き方のご縁です。お大事に。合 掌