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七七日のたより(四十九日法話)77-49

六七日のたより


南無阿弥陀仏。七七日の一週間はあっという間に過ぎますね。六七日がまいりました。

さて、「会うは別れの始まり」とはいえ、わが身のこととなれば、その悲しみは格別のものかと存じます。

では、その別れに際しての言葉は、何と言えばよいのでしょうか。
「さようなら」…(これっきり)…では あまりに寂し過ぎます。
わたしたちの先輩は、「じゃあ、またね」とお見送りするのだと教えてくれました。

南無阿弥陀仏とお念仏の道を歩ませていただくものは、死んで「おしまい」になるような、この世限りの半端な縁ではありません。いのちが終わるその時、お浄土へ迎えとられるのです。

故人は、その浄土へひと足先に参られたのです。そしてそれは やがて私も参らせていただく浄土であります。

必ずまた会える世界(浄土)をいただいた私たちだから、「じゃあ、またね」なのです。そして、「じゃあ、またね」と別れたならば、「今度会った時に、恥ずかしくないように」生きていくことできるのです。

先立った親にまた会った時、顔向けならないことだけはすまい。自分の亡き後を「よく頑張ったね」と褒めてもらう…とまではいかなくとも。私もそんな気持ちでいます。

親は死んだ後も、子を育てつづけてくれるのですね。

合 掌