※ 水もの=そのときの条件によって変わりやすく、予想しにくい物事。(by コトバンク

毎年 報恩講のご縁を頂戴する 西宮市のJ寺さま。

午前と午後 の1日2座 ですが、参詣者が本堂に入りきれないため、「完全入替え制」です。そのため、同じ法話を1日に2度させていただくので、とても勉強になります。
午前のお話の後、その反省点を修正して午後に臨めますから、有難いお育てのご縁です。

今年の午前の席は 比較的 若い世代、お聴聞ビギナーらしき方々が たくさんお参りされていたので、テーマはそのままに話題を急きょ変更しました。すると、法話に食いつくように 生き生きと話を聞いてくださり、私の作戦は大成功。

そして、その充実感のまま 修正することなく 午後の席が始まりました。ところが、お参りの方々の平均年齢がかなり上昇、お寺参りのベテランさんが多い雰囲気です。
それならば、当初 に準備していた段取り、流れのお話をすればいいのですが、午前中の聞き手の反応があまりに良かったので、つい 午前と同じ話の展開て進めてしまいました。

すると‥。

聞き手の様子は午前中とは全く異なり、話が届いているやら不安になるような雰囲気です。
焦るとますます、聞き手と離れていくような気がします。

法話は ライブ、「水もの」とも聞きますが、そこには、明らかに私の驕りがありました。
聞き手が入れ替わっているのに、それに対応せずに、その前に通用したことをそのまま適用しょうとした結果です。

自分の横着が もたらした不行き届きなお取次(法話)を深く反省するばかりでした。

そのお寺のご住職とは長年のお付き合いで心安いので、法座後にその旨を正直にお詫びしたところ、「全然、問題ないですよ。午前も午後も変わりませんよ。」とのお答え。

結局、私の独りよがりの驕りと反省だったのでしょうか。
お取次ぎ(法話)の難しさを 思い知らされました。