人生の栞

私ごとで恐縮ですが、ここ数年、秋の山の紅葉が とても目に鮮やかに飛び込んで心打たれるようになりました。

川の水面に反射する陽の光に映える紅葉も素敵です。
秋空の青色の中に 紅葉した山々の輪郭がくっきりと浮かび上がるコントラストは 何ともいえません。

こんなふうに近年の山々の様子が変わったのかと 思っていましたら、その時期は、私の目がうすくなる、つまり老眼になりはじめた頃と重なります。
また、秋には各寺院の報恩講にお参りして、精進のおときをいただきますが、私はこの精進料理が何とも味気なく、物足りなく感じて、苦手でした。

ところが、これまた近年は 違います。精進料理をとても美味しくいただけます。何日も続いても 飽きることはありません。

精進料理は にんじん・ごぼう・しいたけ・白菜…、野菜の味そのものが口の中に飛び込んできます。油を使う西洋料理では こうは いきません。

たしかに 以前ほど 脂っこい料理は 食べられなくなりましたが、その分、精進料理の美味しさに出会いました。
そして、あれほど 辛かった、冬の朝に起きて冷たい本堂で おつとめすることが、そんなに 苦にならなくなりました。

若いときのように、昼まで寝るようなことはできなくなりましたが、冬の朝の凛とした冷気の中、白い息を吐きながら本堂でお勤めしていますと、なんともいえない、すがすがしさを 感じるようになりました
こうしてみますと、年を取るとういうことは、できないことが増えて、不自由になることが多いかもしれませんが、その分、それまで気づきもしなかったことを 思い知らされます。

年を取るとは 昨日わからなかったことを今日気がつかされること、 50才でわからぬことを60才で知らされること…なのでしょう。
①近くが見えにくくなった代わりに 照り映える紅葉に心打たれるようになり、
②脂っこいものが あまりたべられなくなって、精進料理の美味しさがわかるようになりました。
③昼まで寝続けることはできなくなりましたが、凛とした冬の朝の清々しさを味わえるようになりました。
みんな、みんな、ひとつ失うままに ひとつ得させていただきました。
言い替えれば、失わなければ 得られなかった…のかもしれません。
年を重ねていくと、それまで何でも一人で出来ると思い込んでいた若い頃とは違い、何一つとして、周りのお世話にならなければ生きて行けないことに気づかされます。

これまた、仏さまが真実のマナザシで教えて下さった「おかげさま」ということを 不自由になっていくわが身が 教えてくれているのかもしれません。
(たしかに、二十歳の頃に 一日の終わりに 「今日も一日おかげさまで…」とは 思えませんでした。)

だからこそ、「若いモンの世話にはならない!」ではなく、
「世話をかけるねえ。すまないね。有難う」…とありたいと思います。
そして、老いてゆく中に、去年と同じことを去年と同じように今年も出来るということは、けっして 「あたりまえ」はない。文字通り、有ることが難しい… 「有難い」ことだったと気づかされていくのでしょう。
年を取るということは、おかげさまの見える目をいただくこと…そんなふうに味合わせていただきました。

人生の栞(もくじへ)