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住職ノートnote

『徒然草(つれづれぐさ)』に きく


今から、 およそ七百前に書かれた『徒然草(つれづれぐさ)』という本には、

「吉日(キチニチ)に悪 をなすに、必ず凶なり。悪日(アクニチ)に善を行ふに、必ず吉なりと言へり。」とあります。

つまり、お日柄がよい日だからといっても 悪いことをすれば けっして その日はよい日とはならない。反対に お日柄が悪い日でも よいことをすれば 良い日となる と言う意味です。

具体的にいえば、お日柄のいい日でも、罪を犯せば 警察に捕まえられるし、お日柄の悪い日でも、親孝行すれば 喜ばれる ということでしょう。

さらに 徒然草には、「いくら いい日を選んで物事をしたとしても そのことが悪い結果で終わることは 数え切れない。」(主意)とも 書いてあります。

ちょうど、大安を選んで 結婚式を挙げても、仲が悪くなり、失敗する夫婦は、いくらでもあるということでしょう。 そして、大切な二度とない人生を 日が良いとか悪いとかで、先送りしたり早めたりすることに対しては、「愚かなり」と断じてあります。

明日のわからない、限りあるいのちを生かされる人生ならばこそ、そんなお日柄などに振り回されないで、大切に生きたいものです。

徒然草は 最後に
「吉凶(キツキヨウ)は、人によりて、日によらず。」と結びます。

日が好いとか悪いとかは その人が何をしたかで決まるのであって、はじめから好い日悪い日があるのではないということです。

ところで、私たち浄土真宗の宗風には、
「深く因果の道理をわきまえて、現世祈祷やまじないを行なわず、占いなどの迷信にたよらない」
とあります。

浄土真宗は、占いや迷信に振りまわされず、どんなことも 他人(外)のせいにしないで引き受けていく、力強い・積極的な道(教え)だといえます。 しかし、どんなに文明が発達しても、私たち人間は七百年前の つれづれ草の 時代からかわることなく、迷信やお日柄などがを気にしてしまう 弱い存在です。

だからこそ、阿弥陀さまは そんな私たち かねてより 知り抜いた上で 「心配しないでいいよ。いつでも どこでも ここにいるから…」 と 願いをかけていてくださるのでした。