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住職ノートnote

いのちのふるさと


「浄土」について、難しく語るのではなく、「たとえ」を通して味わってみたい…。そう思っていましたら、こんな たとえを聞きました。

浄土とは、いのちの還る「いのちのふるさと」である…と。

いのちのふるさと…。「ふるさと」と言われたなら、なんとなくピンときます。因みに、ふるさとには、①景色(風景)、②親、③幼なじみの3つの要素(条件?)があるといいます。
とりわけ、「ふるさとは遠きにありて思うもの」というように、ふるさとを離れた時、それがよくわかるものだと思います。

①景色(風景)
「兎追いし かの山、小鮒釣りし かの川」です。ふるさとには、私を育んでくれた山や川、草や木があります。

たまに東京方面の仏事で、お参り先の親戚から、「ご住職はどちらからお越しです?」と聞かれることがあります。「島根県…」と言うと、「あー、秋田県の隣 りの…」と、うなづかれたりする場合もありますが…。私はお構いなしで、「はい。島根県の温泉津町というところで…」と続けます。

すると、不思議なものです。自分の口から温泉津(ユノツ)と言ったとたん、私の心には、温泉津の谷あいの景色が浮かびます。港からの潮風が吹きます。湯煙のにおいがします。このように、ふるさとは景色なくしては語れません。

②親
ふるさとには、私の帰りを待っていてくれる親がいます。そして、その親は「土産をたくさん持って帰れ、出世して帰れよ…」とは言いません。むしろ、「土産 などなくてもいい、ボロボロに疲れ果てたときこそ、帰って来い」と言うでしょう。いつでも、「ただいま!」と帰ることのできるのが、ふるさとです。

嫁いだ娘さんが、実家にしばしば帰るのは、親が居てくれる間だといいます。親が亡くなり、3回忌がすんだころになると、いつの間にやら、実家から足が遠のいていくようです。これも、ふるさとには、親がいてくれればこそ…ということでしょう。

③幼なじみ
同窓会はいいもんです。50年ぶり…などという経験はありませんが、幼なじみの間では、子供時代にタイムスリップ。そこには、「勝ち負け」「損得」などはありません。現在のことは差し置いて、いのちといのちが、「久しぶりに あえてよかったね」という世界です。

今、この3要素が、そのまま 浄土(いのちのふるさと)の3要素にあてはまるのです。
①私をはぐくみ育ててくれた景色とは、この私を迎えとるためにご用意下さった浄土の国土に相当します。
②手土産なしで、帰って来いと私を待ってくれる親とは、修行や善根を「すくいの条件」としない阿弥陀仏のこと。
③久しぶりに会えた幼なじみは、先立っていった親兄弟が菩薩方としていてくれます。

『往生論註』という書物には、このことを
浄土は、①国土荘厳、②仏荘厳、③菩薩荘厳の3つの荘厳からなり、それが29種類の功徳としあらわれ…これを名づけて3厳29種と言い……とまあ、詳しく説かれていますが、とりえず、ふるさとの3要素を通して、いのちのふるさと浄土の3要素(3種荘厳)を味わってみました。