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ひらがな法話hirahou

手を合わせて請求書


ひろさちやさんの本の中に、仏さまにお参りするのに2種類の仕方がある、とありました。ひとつは、「請求書参り」、もう一つは「領収書参り」と言います。

まず、請求書参りの方ですが、これは 手を合わせながら、ウチの子どもを合格させて下さい とか、僕のチームを次の試合に勝たせてくださいなどと「…して下さい」と請求書を添えてお参りするものです。一般的には、こういうお参りがほとんどだと思います。

しかし、この「請求書」の「明細」を見ますと、自分勝手な都合のいいことばかりが書かれています。というのも、ウチの子が合格するということは、間違いなく よその子が一人落ちるということです。

わがチームが勝つということは、同時に相手が負けるということです。それに、相手だって「請求書」を出しているかもしれません。

では、領収書参りとは、どんなお参りでしょう?文字通り、こんな出来事にあわせていただきましたと領収書を発行してお参りすることです。

私の町(温泉津町)にも、この度の病気で、大もうけしましたと病気に領収書を添えて手を合わせた方がいらっしゃいます。何?、保険金がたくさん手に入って「大もうけ」?いえいえ、違います。

その人は、それまで病気知らずの、とても元気な人でした。ですから、逆に身体の弱い人を見ると、「だらしない奴」「怠け者」「すぐ休む横着者」だと見下していたそうです。

ところが、この度の入院で、健康の有難さ、家族や周りの人にどれだけ世話になっているのかを思い知らされたといいます。

そして、 「病気を経験した今では、同じ病気の人の痛みがわかるようになり、今までの自分が恥ずかしくなりました。これからは、少しずつでも優しい言葉が言えるような気がします。」と笑って語って下さいました。

つまり、「この病気のおかげで、私は大切なことを教えられました」
というのが「領収書」でしょう。

他の人と代わることも、代わってもらうことも私の人生ですもの、せめて、請求書の半分くらいは、領収書を発行したいものです。

ナモアミダブツは、そんな私のいのちを「阿弥陀さまの願いの中に、いのちいっぱい生き抜かせていただきます」という領収書です。