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ひらがな法話hirahou

こころの窓


お仏壇は、「こころの窓」と言われます。
というのも、窓には二つの役割(はたらき)があります。

一つには、明かりをとり入れる(採光)ということ。

もし、窓が一つもなく、壁だけの家なら、その中は真っ暗です。暗闇というのは不安なものです。

突然停電になった時のことを思い出してください。いくら住み慣れた我が家でも、懐中電灯のある場所にたどり着くまでは、恐る恐るの手探りで、ともすれば片付け忘れた道具につまづいたりします。

やがて、停電が復旧して明るくなると 「なんだ、こんなものにつまづいて…」と暗闇での動きが恥ずかしくさえ思えます。

私の心も同じです。明かりがなければ、アテにならないものをアテにして、自分中心の見方や考え方で、愚痴が出ます。

お仏壇は、そんな私へ阿弥陀さまの智慧の光をいただく「窓」です。

暗闇の中で迷い・悩むことを仏教では、無明といいます。しかし、その闇が光によって破られた時、身勝手に思い通りにならないことに愚痴をこぼしている自分に気づかされ、多くの周りのいのちによって生かされていた自分が知らされるのです。

二つ目の役割は、汚れた空気をきれいな空気と入れ換える(換気)はたらきです。

窓のない部屋の空気は、だんだん汚れてきます。私の心も閉ざされたままでは、よどんで濁ってきます。イライラ・カリカリ・クヨクヨ・メソメソ…と、たまってきます。

その汚れは、光に照らされると明らかになります。ちょうど、暗い部屋に一筋の光が差した時、ホコリがいっぱい舞っているのが見えるのと同じです。

そこで、窓を開けて私の心の中に、きれいな(仏さまの)風を入れます。だから、「心の窓」なのです。 お仏壇のない家は、窓のない家、明かりのない家です。

たとえ、どれほど高価な調度品をそろえ、ご馳走を並べても、明かりのない暗闇の中では、満足することはないでしょう。そして、「こんなはずじゃなかった」とか、「あいつが悪い」「先祖がタタル」などと、愚痴になります。

どうぞ、窓(仏壇)のあるお家に住んで、朝晩に窓(仏壇)を開けて(お参りして)下さい。